Brough Superior | ブラフシューペリア : T.E.ロレンス。S.S.100との深い絆により、速さと美しさを兼ね備えた愛機は自由への憧れを体現した。

魂と鋼が交わるとき

これは、ひとりの男と1台のマシンが
交わした、時代を超える対話である

Brough Superior | ブラフシューペリア : T.E.ロレンス。S.S.100との深い絆により、速さと美しさを兼ね備えた愛機は自由への憧れを体現した。

T.E.ロレンスと

ブラフシューペリア
S.S.100

── 魂を揺さぶる絆

20世紀初頭、英国の軍人であり作家、そして思想家として知られるトーマス エドワード ロレンス。通称「アラビアのロレンス」は、その英雄的な活動だけでなく、ひとりのモーターサイクル愛好家としても特異な存在感を放っていました。ブラフシューペリアはロレンスにとって単なる移動手段ではなく、美と速度、哲学が融合した精神の相棒とも呼ぶべき存在でした。田園地帯を風のように駆け抜け、機械と肉体がひとつになる感覚。それは、ロレンスの内なる孤独と激情を和らげる特別な時間だったのかもしれません。その情熱は、彼の著書『The Mint』にも記されており、モーターサイクルにまたがる体験が、彼にとっていかに内面的な意味を持っていたかが伺えます。なお、1962年に公開された映画『アラビアのロレンス』は、彼の人生を世界に広く伝える役割を果たし、今なお高い評価を受けています。

T.E.ロレンスとブラフシューペリア S.S.100
── それは、ひとりの人間と一台のマシンが交わした、時代を超える対話であり、魂と魂が響き合った稀有な関係であったのです。

ジョージ ブラフとの

深い交流

── 理想を共有した二人の紳士

ロレンスとジョージ ブラフの関係は、単なる顧客と製造者の枠を超えた、深い信頼と敬意に基づくものでした。ロレンスは、自身の要望に応じたカスタム仕様のブラフシューペリアを注文し、その性能やデザインに対する感謝の意を手紙で伝えるほどでした。1926年9月27日、ロレンスはジョージ ブラフに宛てた手紙の中で、次のように述べています。

「1922年からの4年間で、5台のブラフシューペリアに乗り、10万マイルを走破しました。これらのモーターサイクルは、私にとってこの上ない楽しみを与えてくれました。特に、1925年と1926年に乗ったジョージIVとVは、一度も故障することなく、まるで特急列車のような速さと信頼性を誇りました」

T.E.ロレンス

この手紙からも、ロレンスがブラフシューペリアに寄せる深い愛情と信頼が伺えます。彼は、モーターサイクルの性能だけでなく、その美しさや職人技にも感銘を受けていたのです。ロレンスは、自身のモーターサイクルに「ジョージI」から「ジョージVII」までの愛称を付けていました。これは、製造者であるジョージ ブラフへの敬意と、モーターサイクルへの深い愛着を示すものです。彼の7台目のブラフシューペリアは、彼の死後、ジョージ ブラフが個人的に保管し、親友への追悼の意を表しました 。このような交流は、ロレンスのモーターサイクルに対するこだわりと、ブラフシューペリアへの信頼の深さを物語っています。彼にとって、ブラフシューペリアは移動手段ではなく、人生の伴侶であり、精神的な拠り所であったのです。

T.E.ロレンスのポートレート
ブラフシューペリア S.S.100のディテール

なぜロレンスは

ブラフシューペリアに

魅せられたのか

── 速さ、美しさ、孤高の哲学に

響き合うもの

ロレンスがブラフシューペリア S.S.100に強く惹かれた理由。それは単なる機械的な性能や外見の話にとどまりません。そこには彼の生き方そのものと響き合う、深い精神的な共鳴がありました。当時もブラフシューペリアは、常識をはるかに超えた存在でした。ノッティンガムのジョージ ブラフが1台1台手作業で仕立てたこのモーターサイクルは、「お金で買える最高のモーターサイクル」と称され、価格は約200ポンド、当時であれば田舎に一軒家が買えるほどの金額。ロレンスがこのモーターサイクルを8台も所有していたという事実は、彼の階級や公務員としての収入とは釣り合いません。だが、彼にとってこのマシンは、富の象徴ではなく、「速度と自由、そして静寂の中にある深い集中」を手にするための、かけがえのない存在でした。その走行性能は、彼の冒険心を刺激し、美しいスタイルは、彼の審美眼に訴えかけました。そして何より、ブラフシューペリアのモーターサイクルは、ロールスロイス社がその名を広告に使うことを許した唯一の他社製品。それほどまでに、このモーターサイクルは「上質さの定義」にふさわしい存在でした。

ロレンスといえば所有するブラフシューペリア、それぞれに「ジョージ I(George)」から「ジョージ VIII(George)」と名前を付けていたことが有名です。1922年の最初のブラフシューペリアには『ボアネルゲス(Boanerges)』という愛称を付け、以降も彼は愛車たちを総称してそう呼ぶことがありました。これは、アラム語で「雷の子」を意味し彼のモーターサイクルに対する深い愛情と畏敬の念を象徴しています。彼はこのモーターサイクルを通じて、日常からの逃避や自由を感じていたとされます。孤高の戦士にして詩人、そして思想家であったロレンスにとって、ブラフシューペリアは単なる乗り物ではなかった。喧噪から離れ、内なる世界と向き合うための乗騎。無音の荒野を貫く一本の閃光のように、彼の心の奥底を解き放つ、完璧な旅のかたちでした。

ロレンスが所有していたブラフシューペリアの一覧

  • 1922年:「ボアネルゲス(Boanerges)」と名付けられた最初のブラフシューペリア
  • 1923年:「ジョージ I(George)」
  • 1924年:「ジョージ II(George)」
  • 1925年:「ジョージ III(George)」
  • 1926年:「ジョージ IV(George)」
  • 1927年:「ジョージ V(George)」
  • 1929年:「ジョージ VI(George)」
  • 1932年:「ジョージ VII(George)」
    — ロレンスが事故で亡くなった際に乗っていたモーターサイクル。
  • 1935年:「ジョージ VIII(George)」
    — 注文中で、彼の死後に納車されることはありませんでした。

詩的に語られる
スピード

── 著作『The Mint』より

ロレンスは、モーターサイクルとの一体感やスピードの快感を詩的な表現で綴っています。彼の著作『The Mint』には、以下のような描写があります

「カーブを抜けたその先に、イングランドでも最も真っ直ぐで、最も速い道が開けていた。私はその道を駆け抜けるという栄誉に、身を委ねることができた。排気音は、長く伸びるコードのように後方へとほどけていき、やがて速度がそれを断ち切り、私の耳に残ったのは、ただ風が頭を打つ叫びのような音だけだった」

また、彼はモーターサイクルとの一体感を次のように表現しています。

「少しばかり血の通った、気まぐれなモーターサイクル。地上のあらゆる乗り物の中で、それは最も優れた存在だ。なぜなら、それは我々の身体能力を、きわめて理性的に、拡張する装置でありながら、蜜のように滑らかで、疲れ知らずの走りで、常に過剰への誘惑と挑発を与えてくれるからだ。私のボアネルゲスは、私を愛している。だから他の誰よりも、5マイル速く走ってくれるのだ」

さらに、彼はモーターサイクルでの走行体験を次のように描写しています。

「風が私の頭を吹き飛ばし、耳は沈黙に閉ざされた。音もなく、私たちはただ、陽光に照らされ刈り取られた畑の間を、静かに、まるで空中を旋回するかのように疾走っていた」

これらの表現から、ロレンスがモーターサイクルとの一体感やスピードの快感をどれほど深く感じていたかが伺えます。彼にとって、モーターサイクルは単なる移動手段ではなく、魂の解放と自己表現の手段であり、日常の中で非日常を体験するための道具だったのです。

Brough Superior | ブラフシューペリア : T.E.ロレンス。S.S.100との深い絆により、速さと美しさを兼ね備えた愛機は自由への憧れを体現した。
Brough Superior | ブラフシューペリア : T.E.ロレンス。S.S.100との深い絆により、速さと美しさを兼ね備えた愛機は自由への憧れを体現した。

モーターサイクル事故と
その後の影響

── 静かなる死が、後世に灯した光

イングランドの田舎道を、ひとりの男がモーターサイクルで走り抜ける。風が顔を叩き、排気音が背後に溶けてゆく。音はやがて風の叫びに吸い込まれ、世界は無音に包まれる。突然、前方に自転車の少年たち。彼はとっさに道を外れ、転倒する。飛ばされたゴーグルが空へと舞い、藪の枝に引っかかって、静かに揺れていた。映画「アラビアのロレンス」のオープニングシーン。

1935年 5月13日、ロレンスは、愛車ブラフシューペリア S.S.100を駆り、イングランド ドーセット州のクラウズ ヒル近郊を走行中、前方の自転車に乗る少年たちを避けようとして転倒。ヘルメットを着用していなかった彼は、頭部に深刻な損傷を負い、6日後の5月19日、46歳という若さで静かに息を引き取りました。この悲劇は、やがて英国だけでなく世界の交通安全史においても決定的な分岐点となります。ロレンスの治療にあたった若き神経外科医ヒュー ケアンズは、この死を無為にはせずモーターサイクル事故による頭部外傷の研究に着手。第二次世界大戦中の1941年には、軍用モーターサイクル兵の死亡率とヘルメット着用の相関性を示した論文を発表しイギリス軍は同年、すべての兵士に対してヘルメット着用を義務付けるに至ります。この流れは民間にも波及し、1973年には英国におけるモーターサイクル用ヘルメットの法的義務化へとつながりました。ロレンスの死は、命を守る装備の重要性を世界に知らしめる警鐘として、いまも生き続けています。

トーマス エドワード

ロレンス

── それでも彼は、

走ることをやめなかった。

ロレンスは軍人であり、作家であり、詩人であり、旅人であり、そして何よりも自由を求める魂そのものでした。彼がブラフシューペリアを愛したのは、それが速く、美しく、力強かったからだけではありません。彼にとってブラフシューペリアとは、日常の束縛を断ち切り、孤高なる精神の世界へと向かうための翼だったのです。荒野を走り、風と語らい、排気音に自らの心音を重ねる。そのすべての瞬間において、ロレンスは生きていた。誰よりも濃密に、そして真摯に。その最期が、少年を守ろうとして選んだ操作であったこと。その行為こそ、彼の人生すべてを象徴しているのではないでしょうか。歴史に名を刻んだその英雄は、伝説として語り継がれるだけでなく、今日を生きる私たちへと、静かに問いかけ続けています。

「あなたは、何のために走るのか」

Brough Superior | ブラフシューペリア : T.E.ロレンス。S.S.100との深い絆により、速さと美しさを兼ね備えた愛機は自由への憧れを体現した。