ブラフシューペリアの本社ファクトリーは、フランス南西部トゥールーズ近郊の静謐な地に佇み、職人の手によって命を吹き込まれた車輌たちが、世界へ羽ばたくその瞬間を静かに待ち受けています。豊かな緑に囲まれたその環境に、ひときわ異彩を放つ建築が存在します。金属の光沢と流麗な曲線が織りなすモダンな外観。その洗練された佇まいには、ブラフシューペリア(Brough Superior)の哲学と精神が余すところなく投影されています。この場所は、単なる製造工場ではありません。英国に端をするブラフシューペリアの精度と品格を重んじる精神と、フランスが誇る精緻なクラフトマンシップが交錯し、すべてのモーターサイクルが、一点一点、丹念な手作業によって生み出される創造の拠点です。航空宇宙産業の中枢として知られるトゥールーズの高度な技術基盤を活かし、最先端の精密加工設備と、熟練職人の卓越した技が融合。徹底した品質管理体制のもと、妥協なき製造が追求されています。アルミ削り出しのフレーム、チタンパーツの研磨と組付け、そしてエンジンに鼓動を宿す工程に至るまで、すべてがこの敷地内で完結しています。そこには、完璧な創造の循環が脈々と息づいています。ここでつくり出されるものは、ただの機能の集合体ではありません。機械という存在に、芸術としての魂を宿らせるという確固たる理念が、この空間には確かに息づいています。目を引く外観だけでなく、その奥に秘められた意志が、ブランドの本質を静かに、しかし力強く物語ります。甦ったブラフシューペリアは、ラグジュアリーとパフォーマンスという、時に相反する価値観を、美しく融合させながら、決して大量生産に流されることなく、情熱と伝統に裏打ちされたものづくりを貫いています。このファクトリーは、世界中の情熱を注ぐ者たちにとって、憧憬と敬意の理想郷。そして、ここから旅立つ一台一台の車輌が、それぞれの道を描き風とともに時を刻んでいく── そこには、機械と感性がひとつとなった姿があります。
かつてブラフシューペリアは、英国モーターサイクル史に燦然と輝く存在として君臨していました。誕生からわずか20年足らずの間に、精緻なクラフトマンシップと大胆な設計思想によって、世界中の愛好家たちを魅了したこのブランドは、「最上のもののみが受け入れられる(Only the best is good enough)」という創業者ジョージ ブラフの信念を体現する象徴でした。
けれども、時代の変転は情け容赦なく、その理想を呑み込みました。1939年、第二次世界大戦の勃発とともに世界が混乱へと引きずり込まれたとき、ブラフシューペリアもまた歴史の渦中に飲み込まれていきます。戦時下における物資統制と国家的優先順位の中で、贅を尽くしたモーターサイクルの製造はもはや許されぬ夢となり、1940年、ブラフシューペリアは静かにその生産の幕を下ろしました。残念なことに職人の手によって灯された工場の明かりは消え、ブランドは永い眠りについていきました。
それから約75年の長い歳月が流れ。
その沈黙は、決して忘却を意味するものではありませんでした。長い歳月のなかで、ブラフシューペリアは真に希少なる存在として、伝説という名の気高さに包まれ、その存在感はいっそうの輝きを放つようになったのです。戦後の世界、各国のガレージや密やかなコレクションの中で眠っていた車輌たちは、やがて現代の熱き眼差しにより再発見されていきました。名優 スティーブ マックイーンや、自他共に認めるモーターサイクル愛好家であるジェイ レノらがこのブランドに魅せられ、自らのコレクションに加えたことが広く知られるようになると、その価値は一層の神秘性を帯びて語られるようになりました。近年のオークション市場においても、その神話は揺るぎないものとして証明されており、2023年11月、英国バーミンガムで開催された「NECクラシックモーターショー」では、1938年製のブラフシューペリア S.S.100が241,500ポンド(約3,000万円)で落札されました。これは現存するわずか数十台のうちの一台であり、マチレス製990cc Vツインエンジンを搭載し、100mphでの試験走行を経た希少な車輌。また、2019年3月にはH&Hクラシックスのオークションにおいて、1930年製のブラフシューペリア S.S.100が425,500ポンド(約5,600万円)で落札され、ブランド史上最高額を記録しています。
これらの数字は金銭的価値を示すものではありません。時代を超えてなお人々が求め続ける本質、美学、そして誇りの象徴です。ブラフシューペリアは、機械でありながら魂を宿し、機能の集合体でありながら詩情を語る。そこに込められた設計者の理念、職人の誇り、乗り手の夢が、静かに、しかし確実に人々の心を震わせるのです。そして今、あの名が再び世界を駆け巡る。それは過去の栄光をただ追想するものではなく、新たなる鼓動をもって未来へと続く物語の再始動にほかなりません。
ブラフシューペリアという名が、単なる製品ブランドを超え、永遠の象徴として語り継がれる理由。それは、創業者ジョージ ブラフというひとりの男の類稀なる哲学にあります。彼はただの技術者ではありませんでした。ひとつの理想を宿したヴィジョナリーであり、自らの信じる美学と完璧主義を徹底的に追求する孤高の職人でもありました。最初から全体像を描き、モーターサイクルという存在を、ただの移動手段ではなく、芸術と技術の結晶として世に問うたのです。しかし、彼の道は最初から順風満帆だったわけではありません。ジョージは父ウィリアム エドワード ブラフの経営するブラフ モーターサイクルス(Brough Motorcycles)にて、若き日より技術者として腕を磨いていました。父もまた高い評価を受けるモーターサイクルメーカーであり、実直かつ堅牢なモーターサイクルの製造に情熱を注いでいました。けれども、やがて父と息子の間には、決定的な思想の違いが露わになっていきます。父はあくまで実用性と信頼性を重視し、エンジンに過度な負荷を与えることなく、均整の取れた設計を良しとする立場。一方でジョージは、もっと高性能なエンジン、より大胆な設計、そして機械に美しさと感動を宿らせることを望んでいました。「モーターサイクルとは、ただ走るためのものではない。夢を加速させるための翼だ」そう語ったかは定かではありませんが、ジョージの胸の内には、確実にそのような理念が宿っていたことでしょう。
ついに彼は、父の価値観から距離を置くことを決意します。1919年、自らの名を冠し、「Superior」=「上質 / より優れた」という言葉を掲げて、ブラフシューペリアを創設。これは単なる新ブランドの誕生ではなく、一人の若き理想家が、モーターサイクルにおける哲学を再定義しようとする、静かな革命の始まりでした。製造される車輌の一台一台には、常に彼自身の名前が記されていました。それはブランドの署名であると同時に、彼の誇りと責任の証でもあったのです。彼は設計者であり、製造者であり、何より最初のユーザーでした。自らが納得しないものは、世に出さない。その覚悟が、ブラフシューペリアを唯一無二の存在へと昇華させたのです。そして、あの有名な異名──二輪のロールス ロイス(The Rolls-Royce of Motorcycles)。これは1920年代、英国のモーターサイクル誌『The Motor Cycle』の記者が、工場を見学した際に思わず口にした言葉が起源とされています。その精緻さと上質さに圧倒された彼の一言は瞬く間に広まり、今やこの異名は世界中でブラフシューペリアの代名詞となっています。当初、ロールス ロイス社はこの表現の使用に難色を示しましたが、ジョージ ブラフは彼らを工場へ招き、製造現場のすべてを開示します。そしてロールス ロイスの代表たちは、その品質と哲学に深く感銘を受け、正式に異名の使用を承認したのです。この逸話こそが、ブラフシューペリアがいかにして神話へと昇華されたかを物語っています。ジョージ ブラフは、優れたレーサーとしても知られ、彼自身がサーキットで走ることによって、技術を実証していました。しかし、それだけにとどまらず、顧客体験にも革命を起こしました。購入希望者は工場に招かれ、ジョージ本人と昼食を共にし、自らのモーターサイクルに込める仕様や想いを語り合うことが許されました。それは、購入ではなく、加入であり、選ばれし者だけが知る儀式でもあったのです。こうしてブラフシューペリアのオーナーたちは、名車を持つという以上に、ひとつの精神共同体を成し、誇りを胸に走り続けたのでした。ジョージ ブラフが遺したのは、単なる名車ではありません。それは、物づくりの本質、美の定義、そして誇り高く生きるための哲学。ブラフシューペリアとは、まさにその結晶なのです。
長き眠りの果てに、再び歴史が動き出す。ブラフシューペリアという伝説は、決して過去の遺物ではありませんでした。時代を超え、場所を越えて、ふたたび命を吹き込まれる運命にあったのです。その復興の鍵を握ったのは、フランス人 エンジニアであり、卓越したモーターサイクル クリエイターとして知られるティエリー アンリエットでした。2013年、彼はこの神話的ブランドを現代に甦らせるという壮大なプロジェクトを立ち上げ、ついにブラフシューペリアの新たな時代の幕が上がることとなります。そして同年11月、イタリア ミラノにて開催された世界最大規模のモーターサイクルショー「EICMA(ミラノ国際モーターサイクルショー)」の舞台で、新生ブラフシューペリアが鮮烈な復活を遂げました。そこで発表されたのは、ブランドの象徴ともいえるS.S.100の現代的解釈。伝説の名をそのままに、まったく新たな命が吹き込まれたマシンでした。多くのメディアがこの一台に注目し、世界各地でその反響が報じられました。Motorcycle.comは「ヴィンテージの姿に宿る最先端のテクノロジー」と称賛し、Canada Moto Guideは「伝統と革新の融合」と見事に表現。Bikesales.com.auは「クラシックデザインと現代性能の完全なる統合」、Asphalt & Rubberは「レトロではなく、今なお進化を続ける魂」としてこの復活を歓迎しました。では、なぜ彼らは「単純な復刻ではない」と声をそろえて讃えたのでしょうか。それは、見た目の再現にとどまらず、ブラフシューペリアとは何かという「本質」そのものを問い直し、再構築しているからにほかなりません。魂を残し、骨格を刷新する新生S.S.100には、ジョージ ブラフが重んじたクラフトマンシップの精神と、細部に宿る美学がそのまま継承されています。一方で、その骨格は徹底的に刷新されました。
エンジンは、アキラ テクノロジーズ社と共同開発した997cc 88度Vツイン。最高出力102馬力を誇り、往年の走行性能をはるかに凌駕します。シャシーにはチタン、アルミニウム、カーボンファイバーを使用し、エンジンを応力構造体として取り込む先進的なレイアウトを採用。さらに、航空機に着想を得たベリンガー製4ディスクブレーキや、ブレーキング時のノーズダイブを抑制し、より精密な操縦性を実現するFior式フロントサスペンションなど、従来のモーターサイクル設計にはない独創性が随所に息づいています。外観の美しさは過去へのオマージュであり、内部構造はまぎれもなく未来への布石でした。
変わらぬ哲学、進化した製造。その精神性を支えるのは、製造方法における哲学的徹底です。すべての車輌は、フランス トゥールーズ郊外の工房で、選ばれた職人の手によって一台ずつ丁寧に仕立てられています。キャスティング、溶接、塗装、組み立て。すべてにおいて量産の論理は排除され、工芸の域にまで高められたクラフトマンシップがそこにあります。購入者はカスタム仕様を選ぶことができ、1台1台が真にユニークな存在として仕立てられます。それはまさに、ジョージ ブラフがかつて顧客と向き合い、仕様を語り合い、共に昼食をとりながら一台のモーターサイクルを誕生させていたあの頃と同じスピリットに他なりません。
こうしてブラフシューペリアは、英国からフランスへと拠点を移しながらも、変わることのない精神の純度を保ち、再び世界を魅了する存在として甦りました。それは伝説の再演ではなく、新たな叙事詩の序章。そして、物語はここからふたたび走り出すのです。
名車とは、生産ラインではなく、精神から生まれます。ブラフシューペリアの車輌が放つ深遠な美しさと精密さは、単なる技術の賜物ではありません。それは、造るのではなく、創るという発想から生まれた、ひとつの哲学に他なりません。その哲学が息づくのが、フランス南西部、航空宇宙技術のメッカであるトゥールーズの地。ここに構える工房こそ、現代ブラフシューペリアの心臓部であり、クラフトマンシップの聖域です。
CADで描かれる未来、
CNCが削り出す魂。
現代のブラフシューペリアのすべては、まず問いから始まりました。「モーターサイクルは、美しくなければならないのか?」「感情に語りかける機械は、どうあるべきか?」その答えを形にするため、工房では高度な3D CAD設計が用いられ、パーツ一つひとつが幾何学と詩的美学の融合として、静かに構築されていきます。当時存在し得なかったこの設計環境は、理想を現実へと引き寄せるための最初の礎。
1919年、ジョージ ブラフがこのブランドを創業したとき、彼の手元にあったのは、定規と鉛筆、そして幾度もの試行錯誤を重ねる情熱だけでした。当時の技術では叶えきれなかった理想、実現し得なかった精度、夢想のまま終わっていた設計思想があったことも、また事実です。そして今、その夢は形を得ました。現代のブラフシューペリアは、当時にはなかった3D CADと5軸CNCマシニングセンターを駆使し、かつて図面の中でしか存在し得なかった理想のラインを、金属の質感と重量をともなってこの世に現出させています。航空機産業でも用いられるこのCNC装置は、アルミニウムやチタンといった高機能素材を、まるで彫刻家が大理石に命を吹き込むかのように精密に削り出し、一切の妥協を許さぬかたちで、ひとつの作品を仕立てあげていきます。それは、創業者の意志が現代の技術と出会うことで、100年の時を超え、ようやく辿り着いたひとつの完成形。過去をなぞるのではなく、かつて叶えられなかった完成型への到達。この工房に満ちるのは、もはや単なる製造技術ではありません。それは、技術が精神と共鳴し、はじめて立ち上がる、芸術がかたちを得る瞬間なのです。
職人の手が吹き込む詩情
けれども、CNCが生み出すのは骨格にすぎません。そこに魂を宿すのは、今も昔も変わらず人の手です。トゥールーズの工房では、熟練の職人たちが、時にはアルミニウムをハンマーで叩き出し、曲げ、削り、研ぎ澄ませていく。無機質だった素材が、彼らの手によって生まれ変わっていきます。音を聴き、肌で感じながら、ミリ単位ではなく感覚単位で精度を見極める。それが、この工房に脈打つクラフトマンシップの真髄でもあります。カラーリングもまた、塗るのではなく重ねていく。幾層にもおよぶ塗膜は、光の中で濃淡を変え、角度によって異なる表情を見せる。それは走る彫刻、まさに動く美術品と呼ぶにふさわしい完成度で眺める者を魅了します。
一台に込められた、語られるべき物語
そして、何よりも特筆すべきは、ここで生み出されるモーターサイクルがすべて、オーナーとともに創られているという事実。顧客一人ひとりの要望を満たすべく一つひとつ仕様を決めていきます。塗装の色、シートの質感、エキゾーストの音色に至るまで、オーナーの意志と美学が反映させていく。それは、仕様の選定ではなく、人生の中の一頁を共に綴る行為に近いものがあります。
時代を越えて交錯するふたつの精神
この場所の中心には、ティエリー アンリエットの哲学があります。彼は「モーターサイクルは、心に触れる芸術であるべきだ」との奇しくも創業者ジョージ ブラフの理念と重なる信念を持っています。スピードを誇示するのではなく、美しさと誇り、そして乗る者の魂と対話すること。その志は、時を超えて、ふたつの精神をつなぎとめました。時代を越え、ふたりの思想は静かに響き合います。ジョージ ブラフが蒔いた理念の種は、ティエリー アンリエットの手によって丁寧に育まれ、いま再び、鮮やかな花を咲かせました。創業者と継承者── 時間を隔てた精神の共鳴であり、ひとつの信念を軸にした静かな共作ともいえます。
今この瞬間にも、フランス トゥールーズのこの工房では、熟練のクラフトマンたちの手によって、またひとつ、時を超える一台が生まれています。その金属の息吹には、かつてジョージ ブラフが描いた夢が宿り、そしてそれを受け継ぐティエリー アンリエットの信念が、確かに息づいています。ここは、単なる製造の場ではありません。クラフトマンシップという名の詩が日々綴られ、モーターサイクルというかたちを借りて、哲学が結晶する場所。磨かれたパーツ一つひとつに、心があり、重ねられた塗装の奥に物語があります。ブラフシューペリアの名を冠する車輌は、このトゥールーズの地で、静かに、確実に生まれていきます。それは、かつての伝説をなぞるだけの存在ではなく、今という時代に根を張り、未来へと歩みを刻む、走るアーティファクト。そしてこの工房こそが、その芸術の源泉でなのです。ここから始まり、ここで語られ、ここに帰ってくる。ティエリー アンリエットが守り続ける、静かなる創造の聖域にて──。